with parents あとがきのようなもの

with parentsについて

これは、「with parents」を始めたときに書いた姿勢の記録です。
誰かに何かを教えるために書き始めたものではありません。
親と向き合う時間のなかで、考えたこと、揺れたこと、言葉にならなかった気持ちを、そのまま置いておく場所がほしかった。それが、これを書き始めた理由です。

親は、いつの間にか弱くなります。

ある日突然ではなく、少しずつ、気づいたら、こちらのほうが判断する場面が増えている。その変化にどう対応すればいいのか、事前に答えを教えてくれる人はいませんでした。

ここは、介護の方法をまとめた場所ではありません。
「こうすればうまくいく」「これは間違いだ」といった正解を示すこともしません。状況も、関係性も、感情も、人それぞれ違うからです。同じ出来事でも、受け取り方はまったく変わります。

前提として、正解はありません。
選んだあとで後悔することもあるし、選ばなかったことを引きずることもある。どちらが正しかったかは、たぶん最後までわからない。それでも、考えながら、その時点での精一杯を積み重ねていくしかないのだと思っています。

この場所には、結論はあまりありません。
あるのは、途中の思考と、迷いと、感情の揺れです。整っていない言葉も、そのまま残しています。きれいにまとめるより、現実に近い形で置いておきたかったからです。

もしこれを読んで、少しでも「自分だけじゃない」と思えたなら、それで十分です。

今まさに向き合っている人にも、これから向き合う人にも、あるいは、すでに通り過ぎた人にも。この文章が、静かに隣に置ける何かになればいいと思っています。

ここは、with parents。
親と共にいる時間を、考えるための場所です。

with parents の姿勢

with parents は、役に立つことを最優先にした場所ではありません。

結果として誰かの助けになることはあるかもしれませんが、効率や正しさを競う場所ではない、という前提で成り立っています。
ここに書かれているのは、あくまで「一人の視点」です。

経験も、感情も、判断も、すべて個人的なものです。だから、同じように感じなくてもいいし、共感できない部分があってもかまいません。合わないと思ったら、そっと離れても大丈夫です。

読んだ内容を、そのまま真似する必要はありません。
置かれている状況、親との関係、家族構成、経済的条件、本人の性格――どれか一つ違うだけで、選択は変わります。ここにあるのは「こうすべき」ではなく、「こう考えた」という記録です。

この場所では、きれいな言葉よりも、正直な言葉を優先します。
揺れている途中の考えや、整理できていない感情も、そのまま残します。あとから見返して、違っていたと思うことがあっても、それも含めて「その時の真実」だと考えています。

また、親を美化もしませんし、突き放しもしません。
大切に思う気持ちと、しんどさや苛立ちは同時に存在できる。その矛盾を、無理に解消しようとはしません。

ここでは、誰かを責めたり、評価したりしません。
「もっとこうすべきだった」「それは間違っている」と線を引く代わりに、それぞれが抱えている事情の重さを想像することを大切にしたいと思っています。

with parents は、答えを持ち帰る場所ではなく、考えを置いていく場所です。

読んだあと、少し立ち止まれたなら。あるいは、言葉にならなかった感情に名前がついたなら。それで十分だと考えています。

想定している読者について

with parents は、特定の立場の人だけに向けた場所ではありません。

介護をしている人、これから向き合うかもしれない人、すでに終えた人。そのどれかに明確に当てはまらなくても、親の存在を少し意識し始めた人であれば、読者になり得ると考えています。

今まさに大変な渦中にいる人にとっては、ここにある言葉は、役に立たないかもしれません。切迫した状況では、具体的な解決策のほうが必要な場合もあります。それでも、少し余白ができたときに、静かに戻ってこられる場所でありたいと思っています。

一方で、まだ何も起きていない人にとっては、早すぎると感じるかもしれません。
けれど、いずれ必ず考えることになるテーマだからこそ、感情が大きく揺れる前に、こんな考え方もある、と知っておくことには意味があると考えています。

この場所は、「正しくやりたい人」よりも、「どう向き合えばいいのかわからない人」に向いています。

迷いながら考え続けることを許容できる人、あるいは、そうありたいと思っている人に、そっと開かれています。

読む立場は、途中で変わってもかまいません。
親の状態が変われば、自分の立ち位置も変わる。その変化ごと、連れてきていい場所です。

ここに置いていくもの

with parents には、体系立てた知識や、時系列で整理された記録はあまりありません。

代わりに置いていくのは、そのとき考えていたこと、そのとき感じていた違和感、あとから振り返って言葉にできた思考の断片です。

具体的な出来事を書くこともあります。
親との会話、病院でのやりとり、制度に触れたときの戸惑い、家族のあいだで生まれた微妙な空気。けれど、それらは「再現性のある事例」としてではなく、「一つの現実」として置かれます。

感情についても、できるだけそのまま書きます。
優しさだけでなく、苛立ちや疲れ、距離を取りたくなる気持ち、逃げたいと思った瞬間も含まれます。きれいな感情だけを残すと、現実から遠くなってしまうからです。

考えが変わった記録も残します。
以前はそう思っていたけれど、今は違う。あのときの判断を、今なら別の角度で見る。そうした揺れも、消さずに置いていきます。
ここに並ぶ文章は、読む順番を前提としていません。

途中から読んでもいいし、必要なときだけ戻ってきてもいい。今の自分に引っかかるところだけ拾って、あとは置いていってかまいません。

なぜ書くのか

親との時間について考えることは、とても個人的なことです。
本来なら、外に出さずに、自分の中だけで完結させることもできたはずでした。

それでも、あえて公開する形を選んだのは、このテーマが「誰にとっても他人事ではない」からです。
親は、ほとんどの人にとって、ある日突然いなくなる存在ではありません。少しずつ変わり、関係も形を変えながら、長い時間をかけて向き合うことになります。

書き続ける理由は、その空白に、完全ではない言葉を置いておきたかったからです。
答えを渡すことはできなくても、「考えている途中の姿」を残すことはできる。そう思いました。

公開することは、共感を集めるためでも、理解されるためでもありません。
ただ、このテーマについて「考え続けている人がここにいる」という事実を、外に置いておくためです。

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